Skyrimの感想

Skyrimのメインクエストを終えたので、感想なんぞを書いてみたいと思う。

The Elder Scrolls V : Skyrim 【CEROレーティング「Z」】

The Elder Scrolls V : Skyrim 【CEROレーティング「Z」】

Skyrimベセスダ・ソフトワークス社によるRPGで、剣と魔法とドラゴンの世界、主人公は世界を救う役目を負わされる、主人公はしゃべらない、といった点ではドラゴンクエストに似ているが、ゲーム世界の空気やプレイヤーがゲームの世界に没入できることへのこだわりという点で、善し悪しはともかく違う次元にある。

JRPGで育った身として、Skyrimで際だっていると思う点について挙げてみる。

プレイヤーに選択権がある

仕事を引き受けるか否かの選択権がプレイヤーにある。ドラクエで人に頼みごとをされてるときにその仕事を引き受けるかどうかプレイヤーに「はい、いいえ」で選ばせることもあるが、そこで拒否しても「そこをなんとか」的な台詞を挟んで同じ問いが表示され、その仕事を引き受ける方を選択せざるを得ないようになっていることがほとんどだ。Skyrimだと相手の要望を拒否したければできる。仕事を引き受けておいて実際には何もせず放置しておいてもよい。

生活感のある街の人々

このゲームに登場する町の住人は、夜は自宅のベッドで眠り、朝になると自分の仕事場に歩いて移動して店のカウンターに座り、夜になると歩いて帰宅して床につく。テーブルに座って食事をしてたりもする。時間帯でパッと持ち場が変わるのではなく、仮想空間中をちゃんと連続的に移動しているのだ。ゲームとしてはさほど重要なことではないかもしれないけど、仮想世界にリアリティを持たせるという目的のためには結構重要なことのように思う。ドアの向こうに姿を消した人を追って自分もドアを抜けるとすぐそこにさっきの人がいる、という現実世界の常識がこの仮想世界でも通用するわけですよ。まあ、ベッドで横になっているところを話しかけると、主人公の非常識をとがめることもなく起き上がって普通に会話してくれるのはまあご愛敬。

会話が全部音声

Skyrimでは主人公以外、みんな音声でしゃべる。単に主人公が話しかけた時の相手の台詞が音声なのではなく、町の人が勝手に会話してたり歌ってたり演説をぶってたりする。離れている人の声は小さく聞こえ、近くに寄ると声も大きくなる。自分から話しかけなくても、近くによるだけで相手の方から声をかけてきたりもする。町の人が自律的に活動しそれぞれの生活を送っている感じが出ていて楽しい。キャラクターや建造物など何もかもがリアルなのに、そこにいる人たちが黙々と活動していて主人公からのアクションにしか反応しないというものだったら、それは逆にこわいかもしれない。
ちなみに設定で字幕を表示するようにもできる。私はプレイ中にとあるキャラクターの話す単語がわからなくて字幕をオンにしてその後ずっとオンにしていたのだが、日本語版Skyrimでは音声は丁寧語なのに字幕がぶっきらぼうな言い方だったり、音声には存在しない字幕が早送りで一瞬表示されるといった変なこともあった。

善悪で割り切れない人々

Skyrimというのは世界における一つの地方で、そこにはいくつかの勢力が存在している。一部の勢力は「帝国」と呼ばれる外部勢力の支配下にあり、それに対抗してSkyrimの自立をもくろむ勢力があり、互いに競り合っている。それに加えて中立的な勢力も存在する。
ゲームの冒頭、処刑場へと運ばれる馬車に揺られるところから話は始まる。馬車には処刑仲間(?)が数人乗っており、その中の一人が反帝国勢力のリーダーである。彼とは後に再会することになるのだが、人々の彼に対する評価はまちまちだ。ヒーローとして崇める人もいれば、多種族を差別し自分が王になることしか考えていない自己中野郎と苦々しく思う人もいる。そんな一癖ある人物であることを承知しつつ肩入れするのか、帝国側について反乱軍を打倒しSkyrimの安定を目指すのか、そんな判断もプレイヤーに委ねられる。

そのほか.

そのほかに、厳重にロックされたドアの先にしょぼいアイテムしかなかったり、町の人を攻撃すると警備隊の人たちに追いかけ回される羽目になったり、取れるけれども持って行ってもしょうがないようなアイテムがそこら中に置いてあったりする。 JRPGでのお約束やルールとは異なるけども、まあ現実はそういうものかもね、と思える世界だ。メインストーリーの最後に最強の装備が手に入ることになっているわけでもない。
指輪物語がファンタジーRPGのルーツだと語られるのを見たことがあって、原作を知らずに映画「ロード・オブ・ザ・リング」を見たら、設定こそは架空だけども、なんとも泥臭く、ヒーローが奇跡を起こして窮地が救われるわけでもなく、人々は感情にあふれ、喜んだり恐怖におびえたりしていて、違うルールが働く世界だけれども生々しさやリアリティを感じる世界だった。
ロード・オブ・ザ・リングを見た時は「ああ、これがファンタジーか」と思ったものだが、Skyrimにも「ああ、これがファンタジーRPGか」と目を覚まされた感じがある。

旅の仲間

Skyrimでは旅のお供を一人連れ歩くことができる。彼らは主人公に付き従い、敵に遭遇するとともに戦い、持ちきれない荷物を持ってくれたりする。洞窟の前を通ると、「洞窟があるよ!」などとしゃべったり、たまにアクビしてたりする。前作のオブリビオンではもっぱら一人旅だったので、一人とはいえ仲間を連れて歩けるのは寂しさが和らぐ。お供になるのは、最初にたどり着く砦で付けてもらえるリディアや、世界のあちこちにいる傭兵などだ。
ちなみに彼らは戦闘で死亡すると復活しない。まあ、仲間が死亡したらリロードしたけどね、私は…。倒れた仲間の体からアイテムを回収してるとなんとも居たたまれない気持ちになるのだよ。
ちなみに私はオブリビオンは途中で放り投げた口だ。当時はまだこのゲームに残る洋ゲーのテイストになじみ切れなかった...
同じベセスダ社の作品であるFallout 3は核投下後の世界を父親の後を追って子どもが旅するという内容で、この作品も基本一人旅なので寂しいものだったが、このときはゲームの中のバカ陽気なラジオ放送を付けっぱなしにして紛らしていた。


バグがあったり固まったり、町人の自発的に話す時の口調と主人公が話しかけた時の口調にギャップがあったり、はじめて会った人の悩みをすでに主人公が知っていたりと、怪しいところも多々あるし、リアリティを求めているが故に面倒くさいなーと思うところもあるけれど、こういうものが作れるってのは素晴らしい。