Fallout 3

オブリビオンを開発した人たちによる新作Fallout 3をプレイした。オブリビオンもプレイしたけど、こちらはあまりのめり込めずに途中で放棄しちゃったが、こちらはわりと楽しめた。オブリビオンと大きく違うのは、主人公の生い立ちがはっきりしていて、それにもとづいてゲーム中の目的が与えられていることだ。オブリビオンでは突然世界に放り込まれて右も左もわからない状況でいろんなお使いをほいほい頼まれて、何が主人公の目的なのかよくわからず、未完のクエストが増殖するばかりという情けない状況に陥ってしまった。その点、Fallout 3は主人公がなぜその世界にいるのかという理由づけがはっきりしていて、メインの目標を見失うことなくゲームを進められた。

このゲームでは、倒した敵の死体や捨てたアイテムがその場に残りつづける。この、現実世界では当たり前のことが、ゲームの中だと新鮮に感じる。店で売却したアイテムもその後その店で売られていたり、店の持ち金にも限りがあって、集めたアイテムを全部換金したくても相手の資金が尽きて全部は売れなかったりする。こうしたゲームシステムが遊びとしての面白さにプラスになっているのかどうかわからないが、このおかげでこのゲームの仮想世界は独特の現実世界っぽさを帯びている。はじめてモンスターの頭部を吹っ飛ばして倒した後、その場に横たわっている頭と胴体の離れた死体を見たとき、「ああ、こいつをこんな無惨な姿にしたのは自分なんだ」と、しばし見つめてしまった。
このほかにも、人の家の物を取ったらボコられることなど、何をするのも自由だが行動には責任が伴うことを思い知らされる。人んちのタンスからモノを盗んでも勇者を名乗っていられる自己中心的考えがまかり通る世界ではない。主人公は単なる一生活者で、人助けをすれば喜ばれ、嫌がることをすれば虐げられる。
核戦争後という設定で、まさに北斗の拳の世界。すさんだ雰囲気が漂っていてなんとも重苦しいのだが、ゲームの中のラジオ放送をつけっぱなしにしたままにしておけば、DJの陽気なしゃべりをBGMにして旅をすることもできる。

こうしたもろもろの仕掛けのおかげか、ぼくはこの世界にどっぷりと浸ることができた。だた、ちっちゃいテレビでプレイするとどうなんだろうな。アマゾンのレビューにもあったけど、文字が小さくて読みづらそうに思う。うちは40インチのぼちぼち大きめなテレビなので困ったことにはならなかったけど、以前使っていた15インチのテレビでプレイしていたらブチ切れていたかもしれない。たぶん、開発元は今時の大型液晶/プラズマテレビでプレイすることを想定してこのゲームを作ったんだろう。