天使と悪魔

原作を先に読んでから映画を見るのは久しぶりだ。
見てみて思ったのは、原作を知っていることは映画に没入するのを妨げるということ。どうしても原作との違いが気になってしまう。原作と違うからこれはダメだ、ということではない。ひとつの違いに気がつくと、原作でその後起きるはずのことと矛盾するからそこはどうするんだ? などと視聴者として考える必要のないことを考えてしまって、話に浸ることよりも間違い探しに没頭してしまう。
いちばん大きなくくりでの違いは、原作にあった「宗教への一般市民の関心が薄れている」という背景が映画ではなくなっていることだ。コンクラーベを取材しにくるテレビ局はBBCのみで、BBC内でも優先順位の低い仕事として下っ端レポーターが派遣されている、というのが原作での設定だった。しかし映画では世界中のテレビ局から中継車が出ていて、広場も一般市民で賑わっていた。実際のところ、現在のローマ法王を選ぶコンクラーベのときは日本のテレビ局でも放送していたし、原作で描かれている世間の無関心っぷりのほうが現実から乖離しているのかもしれない。しかし、このことは事件の背景に大きく関わることなので、どういうオチにしたのだろうかと気にしながら見ていた。現実にあわせたのか、バチカンに配慮したのか、それとも新しいローマ法王が決まるときにどうして人がまばらなのかという背景を説明することに時間を使うのが惜しかったのか。
この映画を見に行く動機のひとつは小説の舞台が実際にはどんなところなのか見てみたいことだった。原作を読んだときは街の様子などは適当に想像するだけだったので、その想像と実際の事件の舞台がどれだけ近いのか答え合わせをするのも楽しみにしていた。現実は、想像していたものと比べるとかなり狭苦しい空間だった。まあ、なんちゅうか、ローマは都会なんだな、と思った。
ミステリーとローマ・バチカン観光をトム・ハンクスのガイド付きで楽しめるという、お得感のある映画。

天使と悪魔 (上) (角川文庫)

天使と悪魔 (上) (角川文庫)


映画の中でSONY製品とわかるものを入れるのはいいけど、今回のは無理矢理SONYのロゴが画面内に入れたがっているかのような強引さを感じた。ちゅうか、パソコンのあんなところにSONYって書いてあるもんなのかと。