分割して考えるということ

大きな問題を考えるときは小さい問題に分割するというのが常道だ。このことは、問題に取り組むコツというよりは問題を解くのに避けて通れないものだと思う。

認知心理学では「マジカルナンバー7」といって、人間が頭の中だけで扱える情報は7つ程度という知見がある。大きな問題を考えるときには考慮しなければならない情報も多いので、問題を解くのに必要な情報すべてを頭の中だけで考えることがそもそも人間の能力を超えてしまうことになる。


文章や音楽などの創作物を作るときにも小さい単位に分割して考える。自分で文章を書く必要に迫られるようになると、ほかの人はどうやってこんなもんを書くのだろうかと途方にくれたものだが、盛り込みたい情報を断片的に書き溜めていくと意外と分量がたまるもので、逆に何を削ろうかと考えなければならなくなったりする。長い文章も、短い文章の集合を適当に配列したものに過ぎないのだ。

そんなことを考え出すと、人間が作っているものはなんでもそうなっているように思えてくる。建築、洋服、書物、家具、ソフトウェアなどなど。実際その通りなんだろうが、それはそもそも複雑なことを複雑なまま考えることのできない人間が何かを作ろうとするとき、問題を分割しないと何もできないことによる必然的な結果なんだと思う。

人工物であれば物質的なものであれ精神的なものであれ、より小さな単位の組み合わせとして構築されている、というのは人間の知能がどういうものなのかを理解する鍵じゃないだろうか。

数学や論理学に出てくる再帰的な定義を与えられた概念なんてのは人工物の極みか。